教えのやさしい解説

大白法 611号
 
(きょう)を知る
 日蓮(にちれん)大聖人(だいしょうにん)は、正しい仏法を弘(ひろ)め、民衆を救うためには、その宗旨(しゅうし)の決定に当たり、教・機(き)・時(じ)・国(こく)・教法流布(きょうほうるふ)の前後の「宗教の五綱(ごこう)」を知ることが大切であると示されています。
 この五綱中、「教」について知るとは、それぞれの宗教の教義を比較検討(ひかくけんとう)し、何が真実であり、最勝(さいしょう)の教えであるかを判釈(はんじゃく)することをいいます。

「教」とは
 本来「教」とは、天台大師が『法華玄義』の中で、
「教とは、聖人、下に被(こうむ)らしむるの言(げん)なり」
と示されているように、真理(しんり)を悟(さと)った聖者が、衆生を救うためにその内容を指し示すものをいいます。
 しかし、それらの「教」は千差万別で、様々な異(こと)なりがあります。これを大聖人は『顕謗法抄(けんほうぼうしょう)』に、
「第一に教とは、如来(にょらい)一代五十年の説教は大小(だいしょう)・権実(ごんじつ)・顕密(けんみつ)の差別あり」(御書 二八五頁)
と示されています。
 すなわち、仏の教えには大乗教と小乗教、権教と実数、顕教と密教とがありますが、それらには高低・浅深(せんじん)の立て分けがあり、まずそれを弁(わきま)えなくてはならないと仰せになっています。
 そして『開目抄』には、
「教の浅深をしらざれば理の浅深弁ふものなし」(同 五六一頁)
と、教えの内容・論理というものを知るためには、教の勝劣・浅深を知らなければならないと仰せられています。
 そこで、その「教」を比較判定するための基準が必要となるのです。大聖人の御書の各所には、教法の勝劣・浅深が説かれていますが、体系的なものとしては『開目抄』に説かれる「五重相対(ごじゅうそうたい)」と、『観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)』に説かれる「五重三段(さんだん)」の判釈を挙(あ)げることができます。
 この他にも御書には「三重秘伝(ひでん)」、あるいは「第三の法門(ほうもん)」などの判釈もありますが、ここでは「五重相対」を取り上げ、簡単に説明することにします。

「五重相対」とは
 五重相対は、仏教及び仏教以外の一切の教えを五段階に比較相対し、次第に従浅至深(じゅうせんしじん)していく教判(きょうはん)をいいます。

@ 内外相対
 内道(ないどう)と外道(げどう)の比較相対をいいます。
 内道とは仏教のことで、ここには過去・現在・未来の三世(さんぜ)に亘(わた)る因果の理(ことわり)が明かされています。
 外道は仏教以外の宗教をいい、三世の因果を明確に説いていません。したがって外道は、仏教に比(くら)べて劣(おと)っているといえます。

A 大小相対
 大乗教と小乗教の比較相対をいいます。大乗教は自分はもとより、大勢の人々を救う教えですが、小乗教は自らの解脱(げだつ)のみを説く教えで、自他(じた)共に救う大乗の教えからみれば劣った教えとなります。

B 権実相対
 権教(ごんきょう)と実教(じっきょう)の比較相対をいいます。
「権」とは「仮(かり)」の意(い)で方便(ほうべん)の教えです。「実」とは「真実」の意で法華経のことをいいます。
 権教である爾前(にぜん)の諸経(しょきょう)は、二乗(にじょう)のみならず女人や悪人の成仏も明かされず、一念三千(いちねんさんぜん)の法門が説かれていません。
 これに対して、法華経は諸法実相・一念三千の法門が説かれ、さらに二乗作仏(さぶつ)と仏の本地(ほんち)である久遠実成(くおんじつじょう)が明かされています。したがって、法華経こそ真実の教えといえるのです。

C 本迹相対
 法華経の本門と迹門(しゃくもん)の比較相対をいいます。本門は仏の久遠の成道を説き明かしているので勝れ、迹門は始成正覚(しじょうしょうかく)の垂迹(すいじゃく)の仏が説く法なので劣ります。

D 種脱相対
 文底下種(もんていげしゅ)の仏法と文上脱益(もんじょうだつやく)の仏法の比較相対をいいます。文底下種の仏法は、成仏の根源である下種の本法を久遠元初(がんじょ)の本仏によって顕されるので勝れ、文上脱益の仏法は、久遠五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)の垂迹の仏の法なので劣るのです。

「教を知る」とは
 以上の「五重相対」の相対判釈によって、教義の高低・勝劣・浅深が判定されるのです。
 「相対」とは、二つの教えの内容を比較して高低・浅深のけじめをつけ、最終的に最上究極(さいじょう きゅうきょく)の教えを選び出すことであり、これがなければ末法の正法を導き出すことはできないのです。
 第二十六世日寛上人は、この「教綱判(きょうこうはん)」について『報恩抄文段(ほうおんしょう もんだん)』に、
「第一の教とは、一代諸経の浅深勝劣を判ずるを教と云うなり。天台大師は五時八教(ごじ はっきょう)を以て一代の浅深を判じ、以て法華最第一を顕わせり。蓮祖(れんそ)聖人は三重の秘伝を以て文底秘沈(ひちん)の大法を顕わしたまえり」(日寛上人御書文段 四六三頁)
と示されています。
 すなわち、日蓮大聖人は「五重相対」の中の最も大切な権実相対・本迹相対・種脱相対という「三重の秘伝」によって、文底下種の仏法を選び出されました。そしてこの文底下種の大法である南無妙法蓮華経の仏法こそが、一切の宗教の中で最も勝れた教えであり、末法の衆生が成仏するための唯(ただ)一つの教えであることを明らかにされたのです。
 すなわち末法今日において、これを弁えることが「教を知る」ことになるのです。